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プロフィール

はじめまして!プロフィールをご覧いただきありがとうございます

『ときすけ』と言います

現在私は自分自身のリスキリング経験を今後リスキリングを始める方に向けて情報発信しています

リスキリングは『新しい成長領域のスキルを身に着け、自分自身が新しいキャリアを築いていくこと』です

労働の自動化が進み、今後リスキリングの重要性はさらに増していきます

ときすけ

しかし、日本には

  • リスキリングが理解・浸透していない
  • リスキリングの環境・支援が整っていない

状態です

リスキリングはただ単にスキルを身に着けるだけでなく、マインドセット・学習習慣を身に着け、スキルの獲得・キャリア形成までを行わなくてはなりません

しかし、長らく会社員生活を続けて、『学習すること』や『自分でキャリア築くこと』から離れていた人にとって、リスキリングは簡単なことではありません

そのため、誰かの役に立てばという思いで私自身が学んだこと・経験したことを発信しております

私は長年自分の仕事、スキル、働き方、について悩みを抱えてきました

しかし、私自身リスキリングを行って、人生が変わってきているのを実感しております

私の発信を見た方が、私と同じようにリスキリングを通じて、自分の理想の働き方を手に入れ、人生が良い方向に向かっていけばと思っています

そんな人が一人でも、二人でも増えていけばうれしいです

私のリスキリングの歴史

私自身がどのような経緯でリスキリングを行ってきたかについてご紹介します

まだまだ日本で私のようにゼロからリスキリングを行っている人は希少かと思いますので、これからリスキリングを始める人にとって参考になるかと思いますので、少し長いですがお読みいただければと思います

何も考えずに就職

私は大学の4年間をほぼ遊びほうけて、特に何も考えずにとある電子部品のメーカーに就職しました

今までの人生、特に目標も、やりたいこともなく、ただ周りの人がやっているのと同じように会社員になれば普通の人生が送れるのだろうという考えでした

私が就活していたころは売り手市場だったため、特に就活も苦労もせず、推薦枠を使って就職することができました

しかし、世間知らずだった私にここから苦難が訪れます

配属ガチャの洗礼

多くの企業は新卒採用してから適正や本人の希望などを考慮し、配属が決められます

ですが、会社の都合によることも多く、『配属ガチャ』と呼ばれることもあります

希望通りにいく人もいれば、望まない部署に配置されることもあるでしょう

私はもともとは関東に住んでいましたが、『配属ガチャ』により東北地方の工場に飛ばされました

当時その工場は人手も足りず、トラブル続きで、労働環境としてはひどいところでした

現場実習と称してラインに入って作業をしていましたが、誰も教えてくれる人はいません

見よう見まねで朝から晩までロボットのように働きました

今から考えればパワハラといえるようなことも横行し、当然やる気も起きず、「自分はなんのために働いているのだろう?」と自問自答する日々でした・・・

かたや、本社配属となった同期は教育やマニュアルが整った環境で、私と比べるとぬるま湯のような環境でした

それを横目で見ながら、同期で入社したのにこの差は何なんだ、と思いながら、何も言い出せずに月日は流れていきました

中国に赴任

こんな私に転機がおとずれます

と言っても当時はあまり歓迎できない事態でした

それは中国の工場に赴任するというものです

特に拒否権も、意思表示もしない私は会社の決定に従わざるをえませんでした

最初は言葉も通じないし、文化も違う場所で生活できるのかという不安もありましたが、行ってみたら意外と何とかなることに気づきました

まず、言葉に関してですが、私は日本で学習したことがなかったのですが、中国に来て使うことを強いられたら次第に身につけることができました

もちろん通訳もいるので、人によっては何年も中国にいるのに「絶対に日本語しか使わない」というこだわりの強い人もいますし、発音が難しくて挫折してしまう人も多くいます

私はその反面、こだわりがなくなんでも受け入れるタイプだったので、中国語も現地の人に合わせていたら、日常会話くらいならできるようになっていました

この頃は意識していませんでしたが、今思えばリスキリングの素養のようなものが備わっていたのかもしれません

また、文化についても、食べ物、生活、住居、考えなど、あらゆる点で違いがあり、毎日刺激的でした

「体験したことないことはやってみよう」、と思うようになったのもこの頃かもしれません

仕事に対しては相変わらずモチベーションはありませんでしたが、異国の文化に触れることへの”おもしろさ”を知ることができたのは良い経験でした

結婚→帰任→転職

中国に赴任してから2年半ほどが経ち、詳細は割愛しますが中国人の女性と結婚し、子供が生まれることとなりました

子供が生まれた後、1年ほどは中国で育てていましたが、安全性、医療サービス、環境など、このまま中国で育てることに不安を抱き日本へ戻ることを決断しました

この時は初めて会社に自分の希望を出したかもしれません

そして帰任したあと、転職活動を始めました

理由としては主に2つです

一つは、今の仕事だとあちこち転勤させられるので、家族に負担がかからないように転勤がない仕事に就きたいというもの

もう一つは、今の仕事は工場の中がメインで、世間とのつながりが希薄になっているような気がして、何のために働いているのかがわかりにくいことでした

そして、転職活動を開始して、無事に希望に近しいとある専門商社に就職することができました

新しい仕事

今まではメーカーでしたが、転職先は商社なので顧客との関りがより強くなり、より広いフィールドに出られるようになりました

扱う製品も今までと違いますし、商社という立ち位置が違うため、また一から覚えなおす必要がありましたが、吸収力をあると自負していたので、何とか仕事についていくことができました

前職で学んだ工程技術や品質に関する知識、また中国のサプライヤーとのやり取りもあるので中国語も活かすことができました

転職してから数年間仕事をこなしていき、それなりに会社の中では活躍できるようになりました

このとき前職と合わせて、技術者としてのキャリアは約15年くらいになっていました

こころの変化

会社でも認められはじめ、このままこの仕事を続けるという選択肢もありましたが、心の中にまだ引っかかるものがありました

「これは本当にやりたいことなのだろうか・・・?」

自分の気持ちに素直になると、正直会社で働くことや今の仕事を続けるのことは望んでいません

できるならば、時間も場所も自由で、もっと自分にとって楽しい仕事がしたいです

当時はDX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉がはやり始めたころでした

私の知らない間に世の中は、大きく変わっていました

次々に新しいテクノロジーが生まれて、新しいサービスによって人々の生活や仕事が変化しています

ネットビジネスで個人でも莫大な利益を上げて、私が追い求めているような生活を送っている方も多くいます

それなのに自分は、

  • デジタル用語も分からないし、ついていけない
  • アナログな業務が多く、デジタルツールを使いこなせない
  • 周りはSNSを使っているのに、自分は使ったことがない
  • 世の中の新しいビジネスがどのような仕組みで収益が入るのか分からない

こんな状態です

普通の人はここで今更やってもムダだと考えてしまうかもしれませんが私はこう思いました

「少しずつでも良いから、やってみれば自分でもできるようになるのでは?」

「人生100年時代だし、今からでも遅くはないのでは?」

「新しいものが次から次へと出てくるなら、そこに追従していけばいつかは先行者になれるのでは?」

また、日本の状況は次第に悪い方向に向かっているように思います

物価・税金は上昇しているのに年収は全く上がりません

少子高齢化で働く世代の負担はどんどん増していき、子供を養うのさえやっとです

このような状況で

「この状況を打破するためには、今の時代に通じる武器(スキル)を身に着けるしかない!」

「今行動を起こさなければ何も変わらない!」

という思いに拍車がかかりました

転身

当時会社の中で、業務改善のツールの普及を主業務とするIT関連の部門で人員を募集していました

最初は気にも留めませんでしたが、考えたり調べたりしているうちに、次第にやってみたいという気持ちに変わってきました

しかし、葛藤もありました

この部署に異動するということは、今までのキャリアがすべてリセットされます

一応15年ほど築き上げた知識、スキル、人間関係があります

このままいけば管理職に昇進して、短期的には収入も上がったかもしれません

また子供も2人抱え、家族に迷惑をかけるリスクも頭をよぎりました

ですが、ここで行動を起こさないと変わることはできない、今までと同じ望んでいない日々が続くだけ・・・

私は過去の自分を捨てて、生まれ変わる覚悟で応募しました

スキルの獲得

応募したらすんなり採用されるわけではなく、他にも応募者もいましたので選考となりました

ですが私は、面接の場で自分の思いを伝え、運よく採用されることとなりました

部署異動してからは、右も左も分からない状態です

その頃はRPAやBI、Microsoft365系のツールを推進していました

私はまったくのゼロから本を読んだり、セミナーに出たり、YouTubeで学習したり、ツールをいじりまくったりする日々を過ごしました

新しい環境に身を置くと、普段使わない脳みそを使います

今まで多少の違いはあれど似通った業務しかしてこなかったので、いかに楽をしていたかがよくわかりました

インプットをつづけていたら最初はまったく分からないものでも、繰り返し触れることで徐々に理解できます

そして次第に他人に教えられるレベルまで成長していきました

私はしばらく学習するということから距離をおいていましたがこの経験を通して

  • スキルの身につけ方
  • 仕事や生活の合間で学習する時間を確保する方法
  • モチベーションを下げずに学習を継続する方法

などを学ぶことができました

スキルの発信

ツールの普及を推進するかたわら、そのころ会社で誰もやっていなかったSharePointでの部署サイト作成や情報発信を始めました

私のやってきたことは以下のようなことです

  • メルマガ形式で毎月役立つ業務改善の情報やツールの使い方を発信
  • やる気のある人を集め初心者向けのセミナーを企画
  • セミナー動画をサイトにアップして教育コンテンツ化
  • 定期的にツールの相談会を実施

このような活動を続けていたら、最初は全く何もできなかった自分でも、社内で質問が来るくらいの認知度となってきました

そして気づいたらデジタルツールの活用では社内でも1位、2位を争うくらいまで詳しくなりました

世の中には私よりも高度なスキルを持った方は多くいますが、社内というクローズな環境であれば、私のような初心者から始めた人が1年とちょっとでトップランナーになれることを学びました

リスキリングの経験

このような活動を続けていたところ、また私にとって大きな変化がありました

当時は会社では大規模なシステムを導入するプロジェクトが開始しており、そのPM(プロジェクトマネージャー)として声がかかったのです

私自身プロジェクトマネージャーという職種に経験はありませんでしたが、今まで行ってきた情報発信や企画したり進行したりするスキルが評価されたのかもしれません

そして現在はプロジェクトマネージャーとして、新しいことを学びながら日々の業務に取り組んでいます

少しイレギュラーなところはありましたが、自ら変化するというマインドを獲得し、スキルを発揮し、行動を続けたことによって新しいキャリアが開けました

工場で働いていたころと比べるととんでもなく大きな変化です

これがリスキリングによって私の人生が大きく変化した瞬間でした

今後について

リスキリングは永遠に終わらない旅です

私はこれまでの経験を通して、変化の激しい時代でも追従していくマインドセット、自分を今後もリスキリングし続ける言わばエンジンのようなものを手に入れました

今も現状に満足せず更にステップアップしていきたい気持ちです

今お読みいただいているようなブログでの情報発信もリスキリングの一貫です

リスキリングの経験を発信し、誰かの悩みを解決することが新たなステージにつながると信じています

そして、もっと多くのスキルや影響力を身に着け、自分が思い描いている、働き方や人生を手に入れていきたいと考えています

長くなりましたが、以上が私のリスキリング体験でした